昨日悲しみに泣いていた事が嘘のように

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コミュニケーション能力

わかりあえないことから──コミュニケーション能力とは何か (講談社現代新書)

 

新しい環境に行った時、

新しい人と出会った時、

どんな風に距離を縮めたらいいか

昔からよく分からなかった。

 

 

一度会って打ち解けても

また会った時に

どんな風に声をかけていいか分からなくて

避けてしまう。

そんなことで、

何度も失敗してきた。

街中で知ってる人を見かけても、自分から声をかけられない。

自分でも何故こんな簡単なことができないのか、よくわからない。

ずっとそういう悩みがあります。

 

 

大人になると、なんとなく、

あ、こういう時話しかけた方が印象いいなって思って話しかけたりすることはある。

もちろんそれは、

仲良くなりたいから。

でも、どんな風に声をかけるのが自然か

すごく考えないと咄嗟に言葉がでない。

頭の回転が遅いんだと思う。

発する言葉にずっと自信がなくて、

だんだん声は小さくなっていって悪循環。

上手くいかなくて空回りする。

頭が悪いというのはまさにこういうことだと思う。

頭の良し悪しは、勉強が出来る出来ないじゃない。

わたしは頭が悪い人間だってつくづく思う。

 

 

コミュニケーション能力が低いのは

何が原因でしょうか。

 

 

平田オリザさんの本には、

コミュニケーション能力の低下が今になって顕在化しているという内容が書かれていました。

時代が変わって、どんどん社交性や社会性が求められるようになって、コミュニケーション能力が高い方が当たり前に必要になる。

就活は、面接という名のコミュニケーションをどう上手く取れるかなのかもしれない。

そういう能力が求められる時代。

 

 

でも、時代の影響もあるという考え方を書いてくれているだけで少し救われた気持ちになる。

 

 

コミュニケーションっていうのはきっと、

人それぞれ、やり方が違うんじゃないかって

そう思う。

コミュニケーション能力が高いとか低いとか、

その基準はどこにあるのかという話であって、

面接でペラペラと嘘を並べてごまかせる人が

コミュニケーション能力が高いっていうのは

どこかおかしいような気もします。

コミュ力高いって言われている人程、

その人の本当の姿っていうのが案外

分からなかったりする。

相手によって態度を変える人もいれば、相手の話は聞かず自分の話ばかりしている人だっている。

コミュニケーションっていうのは

表面的なことだけじゃない。

発せられる言葉だけじゃないし、

態度とか行動が示すものもコミュニケーションだから。

 

 

私は頭が悪くて、会話が下手だ。

でも、相手のことを理解しようとしている。

仲良くなりたくて、

話題を探したり、

勇気をだして挨拶したり、

自分のことを少し話してみたりしている。

当たり前のことかもしれないけど、

これが今の私のコミュニケーション。

それで良いのだと、今は思う。

 

相手に誤解を与えることはたくさんある。

でもきっと、誠意はどこかに見える。

そういう誠意を見つめられるような

人になりたい。